s t o r y # 0 2


その後のザ・スラット・バンクス・ストーリー





 エルビス・プレスリーに憧れていたリーゼント少年、DUCK-Tが他界して40年。
 彼は、1996年夏にロックン・ロール・スターになるためにポマード墓場から突如蘇り、 あの世の仲間のSmokin'Starと、Dr.Skelton、そして下北沢で見つけたTUSKとともにバンドを結成。
 かなわなかった夢への第一歩を踏み出したのだが・・・・・


 1997年のロックン・ロールスターなんてものは、 それはもう奴等にとってはまったく正反対の価値観であった。
 何故なら男が女のように髪の毛を伸ばし、化粧をしてきらびやかな衣装に身を包んだ者や、 かかとの高い靴を履いて、華麗に楽器を操る者ばかり。
  そこには遠い昔に感じた、さっぱりとした髪型でバッチリきめた硬派なロックン・ロール・スター像なんてものはどこにもなかった。
 それ故ヤツラのライブはいつもスカスカで会場は寒かった。
 一体いつになれば光が見えるのか…。
 春は来るのか…。


 しかし、奴等はガムシャラにライブ活動を繰り返すのだった。
 成功の保証はどこにもなかったのだが、毎月、毎月、何本ものライブをこなした。
 そんなある日、奴等に大勢の客の前で演奏するチャンスが訪れた。
 某日の日比谷野音のイベント・ライブであった。
 奴等は、その残忍なサウンドで、楽器をステージ上でぶち壊し、血まで吐いちまう熱演ぶりにもかかわらず、 客の反応といえば「ガイコツ軍団最低、死んでしまえ」ときたもんだ。
 それが奴等のまだ煮え切れなかったハート火を付けた。
 「せっかく蘇ったのに、また死んでたまるか、なめんなよ」とそこで発表されたのが あの「 死霊の悪知恵 」であった。
 それをキッカケに奴等のサウンドは、現在のぬるま湯ロックにうんざりしていたガキの心をガッチリ掴んだ。
 ライブハウスは満パイ状態で、そこには確実に新しいロックン・ロールの何かが生まれそうであった。
 しかしこのままではライブハウス・ヒーローで終わってしまう・・・・、
 そんな不安を覚えてしまうのであった…。
 そこで気付いたのだ。
 自分たちの多種多様な音楽性を素直に表現すればいいんだと。
 ゾンビだからといっても何も残忍なサウンドにすることねえじゃねえかと。
 そこで発売されたのが今作「 死霊の激愛 」。
 制作にあたってあの世の友人であるボブ・マーリィーやアントニオ・カルロス・ジョビンなどにアドバイスを受け、レゲエもどきやボサノバもどきを完成させたことも忘れてはならない事実なのである。
 そして、今日もどこかの街のライブ小屋で奴等のサウンドが響き渡っているのである。
 会場に足を運んだ者は、帰りには瞳の色が青白く変色して奴等の仲間になっている事も知らずに…。
 しかし、この恐怖のお話しはまだ始まったばかりなのである。


 余談ではあるが、現在、世田谷区下北界隈でのキーワードが”激愛”であることは間違なく事実あり、評論家筋によると全国的に見ても”失楽園”に代わって ”激愛”が97〜98年にかけてブレイクするであろうと言われているのである・・・。






1997.11 ロクfより抜粋