日付 : 2004年8月12日  場所 : 川崎 チッタ

[ LAST OF SATOO THE EARTH ]


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LAST OF SATOO THE EARTH
this show dedicated to takahisa'SATOO'satoh

サンズ・オウル ファンの皆様へ

 皆様方には暑さ厳しいなか、御健勝のこととお喜び申し上げます。
 さて、早いもので孝尚が2月24日に他界して、半年になろうとしています。孝尚の病気は成人には非常に稀な横紋筋肉腫で、発生場所も切除できない上咽頭部でした。医師には予後が良くないと言われていましたが、僕は良くなって退院することを目標に入院加療すると言っていました。
 簡単に闘病生活を説明しますと、腫瘍からの出血による窒息を防ぐために気管切開をして気管カニューレをつけたため言葉を失いました。その時は皆様方からのメールや、その写しをいただいて、喜んだり、CDを聴いたり、ベースの練習をしていました。予後が悪いことを心の奥にしまって彼は努めて明るくして、私が励まされるような場面もありました。次に、腫瘍がさらに大きくなりジュースも飲めなくなりました。食欲を断たれた彼はさらに辛さが増していったと思います。私はセカンドオピニオンを3回受けましたが良い返事は得られませんでした。また皆様方からのカンパをいただいていろんな漢方薬を胃ろうからいれたり、リンパ液強化剤等の自己免疫力強化法を行い、まだまだ諦めていないことを彼に示そうとしました。
 しかし、平成15年1月21日に入院して1年後腫瘍の痛み止め剤による意識の低下や腫瘍が更に大きくなり脳からの神経を圧迫し、手足がだんだん動かなくなりました。本年1月11日最後の力をふりしぼって、皆様方に感謝の気持ちを日記に書いていました。
 1年1ヶ月の彼の闘病期間における皆様方のいろんなアプローチをとおして、彼が下宿していた10年間の空白を私も少し埋めて貰った気がします。彼の闘病に対していろんなご支持をいただき有難うございました。また、多くの方々にはお見送りをいただき有難うございました。
 末筆ながら皆様方のご健勝と新しいサンズ・オウルの発展を祈念いたします。
[ 佐藤家 / 佐藤 重尚 ]

 今日は来てくれてありがとう。このイベントはSUNS OWLからのお礼とSATOOのいるSUNS OWLの最後のライブです。賛否両論だけど、この気持ちを表すにはこれがいいと、俺達は判断した。これからも強く、強く進んで行きたいから!!みんなの心にいさせて欲しい。大切なのはこれからだと思えるようになったから、今日で一区切りつける。SATOOが悔しがっちゃうようなバンドになるよ。だってそうするしか思いつかねぇーよ。
 さみしいけどもうSATOOはいない。また一から始めて最高のバンドを作ろうと思う。
 みなさん、ありがとうございました。
 以上!
[ SUNS OWL / GO ]

 この度はLAST OF SATOO THE EARTHに来て下さいましてありがとう、感謝の気持ちで一杯です。またこのステージSUNS OWLとして立てる事を光栄に思います。少しでも、沢山でも、助けてくれた全ての人に感謝します。今日この場でSATOOと一緒に最後のライブをします。そしてこの先にSUNS OWLに明るい未来があるように、応援ヨロシクです。奴の事を話すときりがないので、今日はこの場に居るみなさん、思いっきり楽しんじゃってください。祭りだ祭り!!
[ SUNS OWL / SAB ]

 今言いたいテメエに、飛び立て意思見える位、俺は忘れないで行く、風に吹かれて行く、別に何も変わりないさ、ここに歌う際限なく、思い残そう永遠に深く、別れはひとときの中、もう行っていいよな? 発つ、立ち止まらない。
[ SUNS OWL / MZM ]

 今夜はSATOOさんに最高の爆音を届けます!見てて下さいネ!SATOOさんの思いを叶えるために今日のイベントを一つの節目として、新たに再スタートするSUNS OWLと共にこれからも頑張ってこのシーンを盛り上げます!
[ タイガー・ミタ ]

 皆さん、これからもSUNS OWLを応援して行きましょう。佐藤さんも皆さんと同様にSUNS OWLを応援していますよ。
[ ローディー / 洋平 ]

Crusr Beach = 出会い
leaf = 歩み、挑戦
SUNS OWL = 成長、戦い
Football = 熱気、歓喜
いくつもの時と感覚を共有した、彼はもういない。だがそれは肉体だけであり、原子に戻り、そして新たな存在、記憶の結晶、魂へとなった彼との歩みはまだまだ続く。
彼の存在が空気と五感を震わせ、全てのフィルターを通り、一つの音となる。
後は俺らが、君らが、その音を奏でるだけ。
ただ…ひたすらどこまでも。
[ spanam / 秦 知広 ]

SATOO、お前が激しく「生き抜いたこと」強く「生きようとしたこと」を、俺は絶対忘れない!
だから声を大にして言う、「力の限り生きるぞ!」
[ CHERRY BLOSSOM / 矢島 康至 ]

俺達はただこのイベントで最高のプレイをするだけそれ以外の言葉はいらない。
その気持ちは自分の中にしまっておきたい。
とにかく言葉よりもこの日彼に捧げる音を大切にしたい。
そして、彼のように最後まで強い人間でいたい。
[ SURVIVE / NEMO ]

“輝く時は一瞬で苦い時間のなんと永いことか…。”と呟いたのが20世紀の哲人だったか、はたまたテレビのコピーライトにすぎぬのかも、最早思い出せはしない。けれど残された者は愚直なまでに、もがくように懸命に生きるしかないのだ。あの輝きを後世に語り伝えるために。SATOOよ、我々の叫び声が届いたなら、今宵CITTAへ降臨せよ。
[ JURASSIC JADE ]

SATOOとは長い付き合いだったし、あいつがガンバったからBAT CAVEもがんばらない訳にはいきません。
こうして元気に音楽出来る幸せを感じながら前に進めればいいなって思ってます。ありがとう。
[ BAT CAVE / JIBI ]

『LAST OF SATOO THE EARTH』について…
SATOO THE EARTHの時に言われたんだ「俺のためじゃなく来てくれた人達に歌ってよ」と
オレ達のビデオ見て言ってたよなっ!凄くよかったって それはあんたに歌ったからだ!
LAST OF SATOO THE EARTH、この日もオレはあんたに歌う!
[ RED MAMMOTH ]

雲の上迄ブチ抜く位ェ、ド派手に演って花ァ添えさせて貰わぁな。ナヌ?来るってか!?オツケイ!!ゲストいれとくわ。
[ マイライト一同 ]

'03年1月、SATOO入院の知らせを聞いた。
俺に「何ができるか?」を考えた。
ツアー先で多くの方にSATOO基金の協力を頂き、「SATOO THE EARTH」にも参加し、本人ともメールのやり取りもした。
そして'04年2月25日の夜半GOのメールでSATOO永眠の知らせを聞く。
俺に「何ができたか?」。考えても結局また何もできなかった事への後悔しか思い浮かばなかった。
だから俺は、今日この「LAST OF SATOO THE EARTH」のステージに立つ。
色々考えても結局俺に出来ることは音楽を演る事だ。SATOO本人もそれを一番喜んでくれると思う。
皆さんも今宵は彼の素晴らしい仲間達が奏でる「音楽」を楽しんでください。
SATOOも来てる筈だから。
[ UNITED / 横山 明裕 ]

「SATOOと二人で整理券を持って並んで買った限定版ゲルググ、一生大切にしますよ!あの時は楽しかったね。break out the ROCK!また逢いましょう!」三浦智也
「SATOOさんの事だからあっちで楽しんでると思うんで、負けないように思いっきり楽しんで行きます!」泰治
「SATOOがやり残した事は俺がやり続けるよ。よろしく〜」スズキ
[ PULLING TEETH ]

SATOOは毎週共に汗を流した、筋肉弟子。志半ばで逝った友への思いは、語りつくせません。
SUNS OWLは私にとって、メタル日本一。復活を望む。
[ PANORAMA AFRO ]

佐藤君!
ういっす!今どうしているのかな?もしまだどこか意識のパイプがあったら話したい。
こうやってメディアを通して話すの、最初で最後だと思うけど、何か不思議とみてくれる気がするよ。じゃっかん上目づかいで(笑)
でもなんにせよこういう機会がある佐藤君、あんたはでかかった証拠だよ。俺にもでかかった。
今度何かあったらまた八千代に報告しに行くよ、一番搾りもって!またね。
[ MINOR LEAGUE / 大江原 亨 ]

 1973年5月15日生まれ。'92年の秋、千葉からサンダーバードをひっさげて上京しB.L BONESに加入。ここから東京でのバンド生活がスタートした。'94年1月11日、オムニバスCD『TOKIO SLIM』に参加。これには、現SUNS OWLのGO、MZMなども参加。その後、SRUST BEACHに加入。'95年、1stデモ発表。'96年に新宿ANTI-KNOCKでの『STREET NEW BRAND 2』に参加、その模様は音源としても収録された。'96年、FISTLAWとのsplitCD発売(ジャケットはUSUGROW氏を起用)。'97年6月1日、ランカーキラーレコードからデモテープ発売。'97年秋、CRUST BEACH解散。その2日後にleafのリハーサルスタート。'98年、1stデモテープ発表。'99年5月21日に、オンリーハーツから1stアルバム発表。同年6月の福島の盟友ココロと初ツアー。そして、7月にSUNS OWLと初ツアー。その間にボーンレコードのオムニバスに参加。初のクラブチッタ川崎でのライブを行い、夏にレッドマンモスとのツアーを施行。'99年11月20日、高円寺20000Vで惜しまれながら解散ライブを行った。
 明けて'00年5月、新ベーシストとしてSUNS OWLに加入。SATOOの参加により、サウンドの核を確かなものにしたSUNS OWLは、'01年5月21日、約3年ぶりとなるアルバム『RECHARGE』をリリース。同年8月には日本初の轟音フェスティバル「BEAST FEAST」にも参戦、話題の核となる。'02年8月、『RECHARGE』のオーストラリアでのリリース。各都市のストリート・ペーパー、世界的に有名なメタル雑誌『ケラング』誌に取り上げられ、オーストラリア最大のラジオ局『JJJ』でも好意的にオンエアーされた。オーストラリア・リリースに伴い、全公演、ほぼソールドアウトで終了。'02年に入り、精力的にライブをしつつ迎えた「BEAST FEAST 2002」の予選参加券をかけたファン投票、「WAY OF BEAST FEAST 2002」で行われたファン投票、両方で堂々1位を獲得、「BEAST FEAST 2002」で衝撃的なステージングを披露。この頃より体調不良を訴えるが、音楽活動を継続。'03年1月、千葉LOOKで行われたライブを終了し、数日後の1月21日、入院。1年1ヶ月の闘病も虚しく、永眠。




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